サラブレッドの歴史は17世紀に始まります。
当時の欧州各国が軍馬の改良を目的としてアジアから馬を輸入しましたが、特に代々の厳密な管理で純血を保っていたアラブ種の馬が多く輸入されました。
輸入された種牡馬と在来種の牝馬の交配による馬産が盛んに行われ、やがて馬の能力を比較するための手段として競馬が始まります。
こうして優秀な能力を持つ馬の血を後世に伝えていくシステムが作り上げられ、サラブレッドという種が誕生しました。
特にイギリスでは強い競走馬を所有する事が貴族のステータスの一つとなるくらいに競馬が盛んになり、サラブレッドの進化も急速に進みました。
多くの馬が輸入された中でサラブレッドの成立に大きな影響を与えた種牡馬は5頭で、牝馬は100頭程度といわれています。
イギリス以外でも馬産は盛んに行われていましたが、軍馬の品種改良といった側面が強く閉鎖的であり、徐々に後発のイギリスの馬産に追い抜かれていく結果となりました。
現在のサラブレッドの直系父系をさかのぼると3頭の種牡馬にたどり着きます。
この3頭を三大始祖と呼び、ダーレーアラビアン(DARLEY ARABIAN)、バイアリーターク(BYERLEY TURK)、ゴドルフィンアラビアン(GODOLPHIN ARABIAN)の3頭で、それぞれが伝説的な逸話を持っていますが、まともに種牡馬として活躍していたのはダーレーアラビアンだけだったようです。
この3頭の血統は18世紀の中ごろに根幹種牡馬と呼ばれる3頭の種牡馬を出し、繁栄を決定付けました。
三大始祖の血統に最後まで抵抗を続けたのが芦毛のオルコックアラビアン(ALCOCK ARABIAN)とダーシーズホワイトターク(DARCY'S WHITE TURK)です。
この2頭を含めて五大始祖と呼ばれることもあります。
この2頭の血統は根幹種牡馬との勢力争いで衰退し、19世紀に入り、直系父系としては断絶しました。
しかし、現代の芦毛はこの2頭の遺伝子に由来するものであり、確実に影響を与えています。
特にオルコックアラビアンはその仔クラブ(CRAB)がリーディングサイアーにもなり、直系からでは、三大始祖以外から唯一となるダービー馬エイムウェル(AIMWELL)を出しました。