Warrsan: Clive Brittain's gallant four-time Group 1 winner has passed away
何気なくレーポを開いてニュースのタイトルを眺めておりましたらば、上記のようなものに出くわしました。Warrsan has passed away.
・゚・(ノД`)・゚・安らかなれ。
何事が起こってpassed awayなどしてしまったのかっつーことで記事を読むデスヨ。
Racing Post: Gallant Warrsan passes away after short illness
GIを4勝したWarrsanは腫瘍のために短い闘病の後に月曜の夜に死亡した。Coronation CとGrosser Preis von Badenを共に連覇したこの8歳馬は今年のシーズン初期に脚の怪我のために引退を決意していた。そして陣営は来春からの種牡馬入りを目指していた。
通算9勝を挙げたCaerleon産駒はNewmarketにあるBrittain師のCarlburg厩舎のスタッフたちに看取られた。
「Warrsanが種牡馬としての生活を送れなかったことはとてもとても悲しい事だ。彼はCarlburgの家族の一員だった。我々は彼を惜しむ」--C.E. Brittain, Trainer
「多くの方々がWarrsanを救うために努力してくれた事に感謝します。しかし不運なことに彼を救うことは出来ませんでした。Clive BrittainとWarrsanを愛してくれた彼のチームの皆に同情を禁じ得ません」--Saeed Manana, Owner
Warrsanは2001年7月のSandownのハンディキャップで初勝利を挙げ、公式のレートで75を得た。翌年のGoodwoodでも勝ち、その後重賞の常連となった。彼は高額賞金を求めて世界中で出走した。去年はJapan CとHong Kong Vaseに出走していた。そして3度目のCoronation C制覇に向けて調教が積まれていたが、今年の4月に前脚の怪我によってそのキャリアに終止符が打たれることとなった。
--以上。久々に全文訳でした。
引退するときにもBrittain師がもう脚がボロボロで走れないんだというようなことをコメントしていたのですが、おそらくそれが腫瘍か、或いはすでに合併症を発症していたということなのでしょう。5年にも及んだ現役生活を終え、来年からは新たに種牡馬として、Caerleon最後の後継者となるべき種牡馬としての生活が用意されようとしていたというのに…。
Coronation Cを勝って以降は12Fのレースを求めて各国を転戦。イタリアでGran Premio di Milano、Gran Premio del Jockey Club、ドイツで旧Aral-Pokal、Grosser Preis von Baden、香港のVase、ドバイのSheema Classic、フランスの凱旋門賞、日本のJapan C。香港VaseとKing Georgeには3年連続、ドバイと東京、凱旋門賞にも2年連続での出走でした。そうした中で残した実績が2003,2004のCoronation C連覇及び2004,2005のGP Baden連覇ではあります。Badenで2度目の凱歌を挙げた後は、凱旋門、JC、HK Vaseと惨敗を重ねてしまいましたが、或いは脚の問題というものが影響していたのかなと思わせるところではあるかな。
何かの間違いで日本に買われたりすることなく、欧州で種牡馬をするWarrsanというのに少し期待していたので、とてもとても残念ではあります。
Returning of the Miracle
It's my own Requiem
Is the script already written
Jester's tears I cry
Yes, I cry
Script for your Requiem - from [IMAGINATION FROM THE OTHER SIDE] BLIND GUARDIAN