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GARY MOORE

アイリッシュの誇りを胸に孤高の道を行くギターヒーロー

We count the cost of those we lost
And pray it's not in vain
The bitter tears of all those years
I hope we live to see those days again

We're going back to the wild frontier, it's calling.
-WILD FRONTIER
アイルランド時代〜イギリスへ
Gary Mooreはアイルランド出身のギタリストで、アイルランド時代にはSKID ROW(無論Sebastian Bachのいたあのバンドとは無関係)というバンドに参加していました。ちなみにマイナー時代のSKID ROWにはPhil Lynottも在籍していました(その後イギリスに渡り、THIN LIZZYを結成するため脱退)。またこの頃同じアイルランド出身のギタリストRory Gallagherとも親交があったらしいです。
SKID ROWはGaryのギタープレイがFLEETWOOD MACのPeter Greenの注目を受け、彼の後押しでイギリスデビューを果たします。しかしSKID ROWはイギリスで数枚のアルバムをレコーディングしましたが成功をつかむ事はできませんでした。
その後GARY MOORE BANDとしてアルバムを制作するものの、この頃はセッションワークを中心として活躍していたようです。
COLLOSEUM II加入 Don Aireyとのコンビ
Gary Mooreは一時的にTHIN LIZZYに加入し、名曲Still in love with youを残してすぐに脱退。
そしてイギリスのジャズロック界の重鎮Jon Hiseman率いるCOLLOSEUM IIの結成にDon Aireyとともに参加します。これはオールインストで繰り広げられるGaryのギターとDonのキーボードによる苛烈なバトルが聴き所です。2作目からはGaryがヴォーカルをとった曲も収録されています。
COLLOSEUM IIで3枚のアルバムを収録した後にGaryは再びTHIN LIZZYへ。ちなみにDonはCozy Powellに誘われてRAINBOWにいきました。
BLACK ROSE a rock legend THIN LIZZY再加入
Gary Mooreは再びPhil Lynottに誘われTHIN LIZZYに加入し、アルバムBALCK ROSEを完成させました。また同時期にTHIN LIZZYメンバーの助けを借り、初のソロアルバムBACK ON THE STREETSをリリース。ここにはライブでの定番曲Parisienne walkwaysが収録されています。
しかしGaryはまたもすぐにTHIN LIZZYから脱退する事になります。その後は一時Glenn Hughesの加入が噂された(結局実現せず)G-FORCEを結成しますが、すぐに解散させます。 このときにレコード会社との間で契約上の問題が起こり、この後しばらくGaryは満足な活動が出来なくなってしまいます。
この問題で結局実現できなかったのが当時RAINBOWから去ったCozy Powellとの間でのバンド結成でした。
しかしこの間Gary Mooreは様々なセッションに参加し、その中にはCozy PowellのソロアルバムやGreg Lakeのソロアルバムが含まれています。Cozyのソロ作品ではキーボードがDon AireyでCOLLOSEUM II以来のコンビを組んでいます。また元EL&PのGreg Lakeの作品ではほぼ全編に渡ってギターを担当し、Greg LakeヴァージョンのNuclear Attackはオリジナルを超える名曲に仕上がっています。
一方でGaryはDonらセッション仲間を集めてレコード会社との契約を消化するためアルバムをレコーディングします。こうしてできたのがスタジオ作DIRTY FINGERSとライブ盤のLIVE AT MARQUEEです。しかしこれらはレコード会社によって意図的にリリースが延期され、最終的には違約金を支払うことで契約から解放されたGaryは当時はHard Rockとは縁の薄かったVirginレコードと契約しソロアルバムを発表していく事になります。
Virgin Record Hard Rock時代
Virginレコードと契約したGary Mooreは元DEEP PURPLEのIan Paice、セッション仲間のNiel Murray、Tommy Eyreらを従えソロアルバムCORRIDORS OF POWERを作成します。このアルバムはプロデューサーのJeff Glixmanの手腕もあってハードな曲からバラード曲までGaryの作曲センスを十分に味わえる作品になっています。続くアルバムVICTIMS OF THE FUTUREではこの後Garyの片腕的存在となるNiel Carterが参加し、社会的なテーマを取り上げた曲が多く見られます。さらには名バラードEmpty Roomsが収録されています。
この後Phil Lynottとの共作シングルOut in the fieldsがヒットを飛ばし、アルバムRUN FOR COVERではPhilとの作品のほか元DEEP PURPLEのGlenn Hughesが参加してレコーディングが行なわれた作品も収録されています。しかし参加メンバーが固定されず特にPhil、Glenn、Garyのヴォーカル曲が収録されているためかアルバム全体としてはばらばらな印象も受けます。ここにもEmpty Roomsが再レコーディングして収録されています。
この後Garyは次のアルバムをPhilを迎えて製作しようと準備に入りますが、Philが急死したため、単独で名盤WILD FRONTIERを完成させます。このアルバムはほとんどGaryとNiel Carterだけで製作されたアルバムでドラムパートはサンプリングによって作られています。タイトルトラックであるWild Frontierの他、メロディ・歌詞ともにアイルランド色の強いOver the hills and far awayやCozy Powellのソロアルバムに収められていたインスト曲The lonerのカヴァーなどが収められています。特にThe lonerは間奏部分を大幅に付け加えていてオリジナル曲のような感じです。
ハードロック作品としては最後となったAFTER THE WARにはCozy Powell、Don Aireyの他Ozzy Osbourneがゲスト参加しています。タイトルトラックAfter the warの他、社会派といわれる曲がそろうアルバムです。またOzzyがヴォーカルで参加したLed clonesはLED ZEPPELINの物まねバンドに対する強烈な皮肉でした。これをOzzyは非常に楽しそうに歌っています。
Blues路線と一瞬に輝いたスーパーグループ
GaryはAFTER THE WARの次のアルバムをSTILL GOT THE BLUESと名づけ自らのルーツでもあるBluesへの回帰を明確に打ち出します。このBlues時代にはこの他にスタジオアルバムAFTER HOURS、ライブアルバムBLUES ALIVE、師でありイギリスデビューのきっかけを与えてくれたPeter Greenに捧げたカヴァーアルバムBLUES FOR GREENYをリリースしています。
また、このカヴァーアルバムをリリースする前に元CREAMのJack Bruce、Jinger Bakerと組んでCREAMの再来とも言われたBBMを結成し、AROUND THE NEXT DREAMを発表しましたが、このグループはすぐに崩壊してしまいました。
BBMでのアルバム発表直後にはVirgin時代の曲を集めたベストアルバムBALLADS & BLUESが発表されています。ここにはタイトルの通りバラードとブルースの名曲が集められています。未発表曲として収録されていたBBMによるOne Dayが最大の注目でした。
モダンビート、テクノロジーの追求と原点回帰
結果的にVirginレコードでの最後の作品となったDARKDAYS IN PARADISEはこれまでのHard Rock〜Bluesから離れ最新のテクノロジーや流行していたモダンビートを取り入れた作品となりました。それでもバラードLike an AngelなどGaryらしさを発揮した曲や、これまでのGary自身のことを歌った大作Business is unusualを収録しています。
この路線は次作DIFERRENT BEATにも継承されました。
しかしGaryはこの次のアルバムをBACK TO THE BLUESと題してBluesに戻ったかと思うと最新作ではバンドSCARS名義でHard Rock作をリリースするなどしています。
Virginレコード所属時代のベストアルバムとしてOUT IN THE FIELDSがリリースされています。これはタイトルのとおりPhil Lynottがかかわった曲を中心として選曲されていますが、他にも主だった曲は収録されていて初めて聴くのにちょうど良いアルバムです。日本盤は2枚組となり貴重なライブ音源が収録されています。
またTHE GREATESTというVirginレコード所属アーティストの一連の企画ものベストアルバムのGary Moore版も存在していますが、限定生産のため現在店頭では見かけられなくなりました。こちらはアルバムごとのバランスを考えた選曲となっているようです。

個人的なお勧め

初期の頃の作品はもう見かけませんがVirgin Recordから出ているのや最近のCDは探せば見つけられるはずです。ということでHard Rock作品を中心に考えると。

[BALLADS AND BLUES 1982-1994]

BBMまでのVirgin時代の作品からその名の通りバラードとブルースを集めて作られたベストアルバム。
PREVIOUSLY UNRELEASEDとなっている曲が3曲収録されており最大の注目はBBMによるONE DAY。企画編集盤ではありますが、とにかくGary Mooreの作曲センスが堪能できる作品です。
これと2枚組のベストOUT IN THE FIELDSがあれば大抵の曲はそろいます。とくにOUT IN THE FIELDSの2枚目は貴重なライブテイクが収録されています。

[CORRIDORS OF POWER]

Virginレコード所属第一作アルバム。契約関係を整理しGary Mooreが本格的にソロ活動を開始したアルバムです。名曲揃い。

[WILD FRONTIER]

アイリッシュの薫り高いHard Rock作品。
Phil Lynottとのレコーディングが予定されていたがPhilの急死によってGaryが一人で完成させました。
アイルランドの歴史を詠ったタイトルトラックWILD FRONTIERはHard Rock時代のGary Mooreの最高傑作。

THIN LIZZYの抱えていた問題

この時代の多くのバンドが苦しんでいた問題であるドラッグに依存してしまう生活はPhilにも当てはまってしまいます。
クリーンになって今でも活躍する人もいれば絶ち切れずにそのままという人も。
Philの場合は残念な事に後者でした。
Gary MooreはTHIN LIZZYに加入と脱退を繰り返しています。一度目はアメリカツアーでのギタリストとして、次はアルバムNIGHT LIFEに収録されたStill in love with youを作り、最後のときはアルバムBLACK ROSEを完成させました。
GaryがTHIN LIZZYから脱退した原因の一つとしてとして言われているのが、THIN LIZZYのライブでのパフォーマンスに問題があったとされている点です。Garyはライブでのパフォーマンスに非常に厳しく、G-FORCEでもメンバーのライブでの演奏に満足できず解散に至った経緯があります。またBBMもアルバム発表後のツアーに出る前に活動を中止しています。
THIN LIZZYのパフォーマンスについてはRitchie BlackmoreもIan PaiceとともにBABY FACEなるバンドの結成に動いていたとき、ベーシストとしてPhil Lynottに目をつけライブに足を運んだが、そのPhilの演奏に失望したことをインタビューで明かしています。
またPhilのドラッグ問題もあり、THIN LIZZYは他のHRバンドほどの成功を得られず、大きな借金を抱え結局解散に追い込まれます。
Garyは後にTHIN LIZZYについて、もっとうまくやるべきときにそうしていればもっと大きな成功を手に入れられたのにそれが出来なかったところがTHIN LIZZYらしいと語っています。
Philのドラッグ問題はTHIN LIZZY解散後も彼に付きまとい、最終的にはPhilの命を奪いました。
それもGaryとの共作Out in the fieldsがヒットし再起を目指したそのときに…

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